医師会より依頼されて、「小樽市の医師会だより」に寄稿した文章です。
2022年9月に発行されました。
医師会の皆様、いつも大変お世話になっております。三ツ山病院の本間公祐と申します。札幌医科大学を卒業後、小児科医局に入局、札幌医科大学附属病院、北海道立小児総合保健センター(現コドモックル)NICUに勤務していましたが、両親が他界したため退職し、実家の龍宮神社で6代目宮司を継いでおります。
コロナ禍のため2年間お祭りを中止しておりましたが、今年3年ぶりにお祭りを開催したことを含め、医師と神職の人生に関してお話しさせて戴きます。
『3年ぶりのお祭り』
「セイヤ!セイヤ!! セイヤ!セイヤ!!」
お神輿の掛け声が、3年ぶりに境内に響き渡りました。
露店の街並み、子供奴に松前神楽、多くの方々が待ち望んでいた「お祭り」です。
コロナ禍のため2年間中止していましたが、6月20日、待ちに待った龍宮神社の例大祭が開催されました。
今年こそは何としてもお祭りをしたい!と考え、様々な準備をすすめてきました。しかし、最も頭を悩ませる問題がありました。それは、露店を出すべきかどうか、そして、お神輿を担げるかどうかということでした。地域の皆さんも「お神輿は無理だよね」「露店は出せないよね」と諦めていました。
龍宮神社宮司としてだけではなく、医師の立場としても、どう考え決定すべきか非常に悩みました。
今年2月、三ツ山病院で新型コロナのクラスターが発生しました。最終的に、入院患者の5割にあたる約40名と、スタッフの約3割に当たる約20名が感染しました。感染対策チームの医師として、クラスター発生時のコロナ病棟を専任で担当しました。毎日レッドゾーンで過ごし、コロナ感染によりどんどん減っていくスタッフと共に、ストレスで体に悪い物が食べたくなる欲求に苛まれながら、ハイリスクのコロナ患者の治療と、感染防止に四苦八苦してきました。
その辛い経験をもとに出した結論は、感染対策を正しく理解し、手抜きなく全員が対策を行う事で、お祭りの感染防止はできるということでした。
神輿参加者は、龍宮神社神輿会に限定。2週間前より仕事以外の飲み会や他のお祭りの参加を控えてもらい、当日全員の健康チェックと抗原検査を行い、全員がそれを守れば神輿を担いでも大丈夫と判断しました。
露店の人達にもワクチン接種か抗原検査で陰性確認ができる業者のみ参加を許可しました。
また、コロナ禍でお祭りを開催には、適切な感染対策をするだけでは不十分で、社会的な理解が得られることも必要だと考えていました。ですから、地域の方々に対して十分な理解が得られる説明が必要でした。参加者全員に健康チェックと抗原検査を行い、カラオケ大会は中止、露店の営業時間を短縮し、露店では飛沫防止シートの徹底、30分以上滞在しないなどの呼びかけをしてもらいました。
「私は、日本で最も新型コロナウイルス感染症に詳しい神主だと思っています。龍宮神社例大祭の感染対策が全国の神社の手本となります」と、感染対策について説明をしながら、お祭りの理解を得ていきました。
また、オリジナルマスクを作り、お祭りに参加する一体感と、感染防御のメッセージを伝えることも、社会的な意義のある大切な事だと考えました。
神輿渡御
寄付集めや説明のため多くの会社やお宅を訪問すると、「よかったね、楽しみにしてたよ」と沢山の方々が応援して下さいました。
お神輿渡御や露店は、多くの人たちで賑わい、みんな本当に楽しんでいました。やはり日本人はお祭りが大好きなんだと実感しました。
お祭りには、幼稚園児から高校生まで子供達もたくさん参加しました。2年間中止していた為、稚児舞や松前神楽を全く教えられませんでした。
そのため国の重要無形文化財にまで指定された松前神楽の継承が途切れることも大変不安でした。伝統文化は一度途切れてしまうと再開するのは容易ではありません。
神様に奉納する神楽には、「能」や「狂言」と同様の難しさがあり、子供達は一生懸命練習を積みましたが、なかなか覚えられず辛い時もあったと思います。しかし、その甲斐あって、とても素晴らしい神楽を神様の前で奉納することができました。
演舞が終わった後、子供たちは「めっちゃ楽しかった!!」と目を輝かせていました。保護者の皆さんも本当に楽しめましたと喜んでくれました。子供達には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
お祭りは、子供からお年寄りまで皆が楽しめる行事であるとともに、そこに生きがいを感じる人たちも数多くいます。
2年間中止されていた事で、「お祭り」には、人々に笑顔と強い絆を生む力があり、世界中から称賛される日本人の精神性と伝統文化が継承される儀式であることを、あらためて実感しました。
松前神楽
『二足のわらじで30年』
私は神主であり医師という、いわゆる二足のわらじを履いております。小児センターNICUで24時間365日働いていた時は、医者と神主の仕事を両立できるなど夢にも思いませんでした。
平成3年に両親が他界した時、神社の跡継ぎが自分しかいないことを実感し、医師を辞めるという苦渋の決断をしました。
しかし神社に戻ると、神社総代だった三ッ山病院の三山英二先生に「うちで働かないか」と声をかけられました。医者と神主の両立などとても不可能と考えておりましたので、有難いお話しですがとお断りをしました。しかし、「神社の事はよく理解しているし、神事がある時は神社に戻っていいから大丈夫だよ」と言ってくださり、半信半疑ではありましたが神主として奉職しながら医師として病院勤務をする事となりました。
普通であれば、一回きりの人生ですが、有難いことに、このように二つの人生を同時に歩んでいるような感覚で生きてきました。初めからこのような生き方を希望したわけではありませんが、気がつけば二足の草鞋を履いて30年が経ちました。
〜神職として〜
私の家系は代々神主であります。北海道の江差で神職として奉職中、榎本武揚さんから龍宮神社の宮司として迎えられてから私で龍宮神社宮司の6代目になります。
私の先祖は、まじないや祈祷により城主の病気の治療などをしていたと聞いており、私自身も医師と神主の繋がりを感じています。(先祖が書き記した「まじない」の方法などが書かれた書物が先祖代々伝わっており、絶対に他の人に見せてはならないと父にも言われてきました。腹痛を治す法、疳の虫(かんのむし)祓い、惚れ薬の作り方など妖しげなものも書き綴られています)
神社での仕事内容は、結婚式、厄払い、七五三、安産祈願、地鎮祭などのお祓いや、いま流行りの御朱印などを書くことです。また正月、お祭り、節句の行事などがあり、寄付集めやお札の頒布のため各家庭を訪れます。また伝統芸能である松前神楽の稽古や稚児舞の指導もしています。
限定御朱印
そこで、神主とは何者か?と思われるのではないでしょうか。一言で言うと神主とは、皆さんと神様の「なかとりもち(中取り持ち)」をする人のことです。皆さんのお願いや、感謝の気持ちを神様にお伝えするのが役目です。皆さんの願いを、神様が聞きやすい言葉(昔の言葉)で伝えるために「祝詞」を奏上します。ですから、祝詞は一つ一つその方の願いに合わせて神主が書いていきます。そこがお経とは違うところですね。そして、平和で暮らせることや家族が健康でいられることに対して感謝の気持ちを表すために、お米やお酒、お魚などのお供物をお供えします。大切な人の無事、元気な赤ちゃんが生まれるようになど、様々な願い事を神様にしっかり伝えて聞き届けて頂けるように、私たち神主は心を込めて神様にお祈りいたします。
お祭りとお正月は、神社の年中行事の中でとても大事な神事です。お正月は、今年1年間、家族が健康で安全に過ごせることや商売繁盛などの祈願をします。お祭りは、私たちが平和で幸せに暮らせることに対して、地域みんなで神様へ感謝の気持ちを捧げる盛大な行事です。
ちなみに神主には階級があり、袴の色で位が分かります。青袴は三級で、二級になると紫袴になります。そして一級になると紫に紋が入ります。私は昨年、紫の袴になりました。
渡御行列
〜医師として〜
私は小児科専門医であり、もともと道立小児総合保健センター(現在のコドモックル)のNICUで、新生児の救急医療に携わっていました。現在は三ツ山病院の小児外来と、おたるレディースクリニックで新生児を診ています
ここで、神社に戻ってから再び新生児医療に携わるようになった経緯をお話し致します。小児センターを辞めて三ツ山病院で高齢者医療に従事していましたが、18年前おたるレディースクリニック開院の時、小林寛治先生から新生児の健診をして欲しいと依頼されました。
私がNICUに勤務していた時は、小児センターには出産設備がなく、近隣の産科で出産した低出生体重児(多くは1000g以下の児です)や、3次救急病院として重症患者を受け入れていました。低出生体重児、先天性心疾患児、新生児仮死児を、蘇生しながら産科病院から搬送した経験が何度もありました。
そこで、小林先生には「先生が一番大変な事は、胎児心拍が低下した緊急の帝王切開の立ち会いや、新生児仮死で生まれた際の蘇生だと思います」と小児センターでの経験談を話しました。
そして、新生児健診は小樽協会病院の小児科の先生にお願いして頂き、私はベビーにリスクのあるお産や緊急帝王切開、新生児仮死や先天性心疾患の疑いのあるベビーが生まれた時に休日でも夜間でも対応します、と提案いたしました。
また、妊娠中毒症の出産など、生まれてくるベビーに少しでも心配がある時は、生まれる前に呼んで欲しいと伝えました。新生児の蘇生は、1分でも早く適正に行えば、脳性麻痺などの後遺症が少なくなるのです。ですから、躊躇しないで気軽に呼んで欲しいし、逆にその方が嬉しいですとお話ししました。外来診療中などは対応できませんが、夜間や休日でも対応できます。
出生後に入院や緊急手術の必要な新生児は、コドモックルに搬送するケースが多いのですが、コドモックル周産期センター長の浅沼先生、循環器センター長の高室先生は札医大の同期、ICU麻酔科の酒井先生は札医大空手部の後輩で、とても頼みやすい環境にあります。
小樽協会病院が出産を停止していた数年間、小樽で生まれたベビーは100%私が診ていました。こうして、小児センターで学んだ周産期医療の経験が、小樽の地域医療に役立つとは、夢にも思っていませんでした。
今は、とてもやりがいのある充実した時間を過ごしています。
現在は小樽レディースクリニックの新生児健診、1ヶ月健診も行っており、緊急の帝王切開や呼吸障害などの新生児対応でも駆けつけてベビーの治療にあたっています。
また三ツ山病院では、高齢者医療や終末期医療を中心におこなっています。入院患者さんの平均年齢は約85〜90歳と超高齢であり、寝たきり患者が多く、癌の末期患者さんの緩和ケアなども行っています。
また、手稲渓仁会病院の腎臓内科で半年ほど研修を積ませて頂き、慢性腎不全患者さんの血液透析にも携わっています。
嚥下困難のある患者さんのPEG(胃瘻)造設術も施行しています。グループホームなどの訪問診療も行っています。
もはや何でも屋さんの状態です。
〜幼稚園〜
もともと「龍宮幼稚園」という名の幼稚園を、神社の境内に開設し私の祖父が初代園長を務めておりました。その後、「いなほ幼稚園」と改名し、境内に隣接した場所に、保育所と幼稚園が一体化した「こども園」として新築しました。
現在は私が理事長を務めさせて頂いており、幼児教育にも携わっています。幼稚園を新築するにあたり、こだわりがありました。それは、保護者の方々が通わせたいと思われるような素敵な建物づくり、0歳児から2歳児までの乳幼児と、3歳以上の児童の導線が交わらずに安全に遊べるエントランスや教室、食育を学べるガラス張りの調理室などなどです。そこで、東京でとても人気のあるこども園を、設計士と共に6〜7軒見学に行きました。子供達の教育に適した、かっこよく素敵な幼稚園にするため、設計士と共に約2年間かけて設計しました。
〜病児保育〜
また、病児保育施設「たつのこルーム」を開設し、病気の子供を預かる事のできる施設を幼稚園に併設しました。共働き家庭をサポートするため、小樽市で初めての施設として活用いただいております。
開設にあたり、2020年2月、瓜田雷己先生、夏井清人先生を中心としたドクターの方々が、「Wine Bar LA心VIN」というワインバーで、「一日ワインバー・マスター」を務められ、今後の地域医療の在り方を医師と共に考える場を提供し、寄付を募られました。
そこで集めた寄付金を、子育てと就労機会の両立を支援する施設として当病児保育施設にご寄付頂きました。本当に有難うございました。この場をお借りして深く御礼申し上げます。
病児保育施設「たつのこルーム」
〜空手〜
私は高校から大学を通じて空手を習ってきました。その経験を活かし、いなほ幼稚園では「空手」をカリキュラムとして取り入れています。今では武道が学校での必修科目になっていますが、20年以上前から幼稚園に空手を取り入れ、武道を通じて礼儀を教えております。
また、卒園後も空手を続けさせたいという要望があったため、「いなほ空手クラブ」という空手道場を開設し、札医大空手部の所属する丸與志舘道場の先生と共に指導しております。
小学生から高校生まで、子供たちに伝統的な武道である空手を通じて、努力の精神を養い、正しい人格形成につながるよう指導しています。現在、空手部の後輩である小樽協会病院の黒田敬史先生にも指導に参加して頂いております。
しかし、最近はコロナ禍のため十分な稽古をできていないのが現状です。
空手免状
〜日常とこれから〜
これまで1年を通じて休みという休みはありませんでした。
平日は病院の仕事を、土・日、祝日は神社の神事をしています。基本的には、曜日で分けるようにしているのですが、仕事が重なるとやりくりが非常に大変です。神社の神事は七曜(日、月、火、水・・・)ではなく、六曜(大安、仏滅、友引・・・)で動くため、平日の大安に地鎮祭などがある時は、昼休みにお祓いをしたり、勤務交代をしてもらい対応しています。皆さんにご迷惑をおかけしており、実はこのやりくりが結構なストレスです。
また、神社での神事の時に小児が来院した時や、緊急の新生児対応で呼ばれた時には、白衣・袴で診察することもあります。子供達は「かっこいい」と言ってくれますが・・・
お正月とお祭りの時期は、準備や神事で多忙を極めるため、その間病院をお休みさせて頂いており、例年のことながら本当にご迷惑をおかけしております。
今日まで病院関係、神社関係、地域の方々にご理解を頂き、また支えて頂きながら、代々受け継いできた聖職である神主と、人の命を預かるという尊い医療職としての医師を何とか両立させて参りました。
病に苦しんでいる人とその家族にこそ、精神的なサポートが必要であり、残りの人生を涙に明け暮れる時間として過ごすのではなく、有意義に笑顔で過ごせる様に少しでも手助けする事こそ医師であり神主でもある自分の務めと考えています。
両親が他界して、医師を辞める決断をしてからは、本当に波瀾万丈の人生でしたが、今考えるととても有意義で恵まれた人生であったと感じております。
まだまだ未熟ではありますが、これからも日々進歩する医療の知識と技術を学びまがら、人と人とのコミュニケーションを大切にし、神主と医師という貴重な経験を積み重ね、地域に貢献できるよう日々努力していきたいと思います。
小樽医師会をはじめ、医療関係の皆様方には本当にお世話になり、力強く支えて戴きました事を深く感謝いたします。これからも何卒よろしくお願い申し上げます。
龍宮神社